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それでも走り続ける理由

28 2月.2020

「しっかり走れよ。全力疾走できる時間は、意外と短いぞ。振り返ってみるとな。」

 

社会人になって3年目を迎えようとしていたころ、

毎月、ゼロリセットされて営業の数字を追う日々をいつまで続ければいいのだろうと

ヘトヘトになって家に帰ってきたときに丁度見ていたドラマの中でベテランの上司が若手にかけたこのセリフを、今も時々思い出します。

 

20代の前半から中盤のころは、力の入れどころも手の抜き方もわからず

とりあえず全力でやりすぎて、よく顔から火がでるような恥ずかしい失敗を重ね、

思いだけ強いあまりに主張をしすぎて、たいそう生意気な人間だったと思います。(今も?)

よくもあんなに、無謀にぶつかっていけたのだろうと思うこともしばしば。

恰好良いときなんて一切なく、いつも恰好悪かった。

 

あのとき、思いっきり走れたのは、どこかでずっと上司や先輩がセーフティーネットをはってくれていたのだと今となって思うことがあります。

私はその網の中でバタバタしていたのでしょう。

 

「全力でやって起こった失敗ならいい。だけど同じ失敗を二度とするな。」

「焦っていいことないだろう、いいことあったか?ひとつもないだろう。焦ってやった一つ

の失敗を取り戻すのに3倍の時間がかかるぞ。」

「目の前のことをとにかく、当たり前に愚直にやりつづけろ。こうなりたい、と主張する前に。」

 

という各諸先輩方の言葉は今も時折、頭をよぎります。

何度も言われたからか(それもどうなんだ)、そのシーンとともに思い出されるのです。

覚えている、ということは私が受け止め、その言葉を「ちゃんと聴いていた」からです。

 

憶測でしかありませんが、周囲も私や若手に対してかける言葉を選んで、きっと伝え方に悩んだのでしょう。

受け止める相手が十分に成熟していない中では特に、ただ強い言葉で指導したところで、正論を伝えたところで、それは相手の心には響かないのです。聞いているフリはしても受け止めず、実は聴いていないのです。

 

 

強い言葉や叱責などは恐怖でマネジメントできてもわずかな期間の効力しか持ちません。

強い言葉や叱責の背後にある関係性や思いがなければ、本当に受け止められることはないでしょう。聴かない、のです。

 

言葉の影響力は日々の関係性の築き方によります。

その人が心から言ってるかそうでないかなんてすぐにわかってしまうものですし。

 

心をつなぎとめるマネジメントとは、なんだろう。

私自身、こういった仕事をしていながらきれいな答えを言えないのです。

それが今の自分の力量、そして経験。

 

あの時、若手だったころ、私が走り続けた理由は、生活のためはもちろん「周囲や誰かの期待に応えたかったから」というシンプルなものでした。自分の価値を認めてほしいということもあったと思います。組織に何のインパクトも与えないはずの小さなプライドでした。それでも自分を支えていたものです。

 

おそらく、その理由を上司も周囲も理解していたと思います。

 

今思っても、本当に短かったような気がします。全力で走れた期間なんてあっという間に過ぎていきました。(今も頑張っているつもり)

 

私が今も走り続ける理由は

 

ちゃんと生きるため

誰に期待されていなくても今、自分に求められていることを全うするため

 

 

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Photo Credit : Bruno Nascimento on unsplash

 

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