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8月は終戦記念日や原爆の日などがあり、いつも平和について考えさせられる機会になりますが、言葉や文化を愛する私のお気に入りの書籍に
「歴史を変えた誤訳」(鳥飼久美子氏)
という本があります。言語学がお好きな方はご存じの方も多い有名な書籍です。
この本で有名になったのは、広島や長崎に原爆が落とされたのは「たった一言」の日本語の英訳を間違えたからではないか、というエピソードです。
それは、「黙殺」という言葉です。
当時、連合国側からポツダム宣言が発表され、日本の無条件降伏が要求されました。鈴木貫太郎首相は、この宣言を受け入れる姿勢を示すわけにはいかず、また同時にもう少し様子を見てから最終決定に踏み切りたいという思いもあり、「黙殺する」という決定をしたそうです。
ところが連合国側はこれを”ignore”つまり「無視する」という言葉に翻訳した。言葉の意味に食い違いがあると気づいたときには、既に連合国側の態度は硬化していた、というエピソードが示されています。
まさにたった一つの言葉が重大な事態に繋がってしまったと言える出来事ですが、こうしたことは我々の日常でもしばしば起きているのではないでしょうか。このエピソードから得られる教訓として以下のようなことを私は感じます。
まず第一に、異なる言語圏に自分のメッセージを届ける時には、翻訳の品質まで含めて、どういう表現で届けるかまでがコミュニケーションであると心得、そこに責任を持たないといけない、ということです。
「黙殺」を誰が翻訳したかについては諸説あるようなのですが、新聞記者がそれを訳し、それが相手国側に伝わったという説が有力のようです。だとすると、日本政府は自分たちのメッセージの伝わり方をコントロール出来ていなかったということになります。自分たちの陣営の中で、信頼できる品質の通訳を通じて発信するべきだったでしょう。
第二の教訓は、言葉の曖昧性についてです。
この「黙殺」という言葉は日本人でも解釈が分かれる微妙な言葉ではないでしょうか。黙殺を辞書で引くと「何も言わずに、無視すること」とあります。つまりignoreと訳しても何の問題もなさそうです。
しかし、著者の鳥飼氏によれば「”静観したい“という意味のことを、公に弱気だとみられないような強い言葉で表現したかったそうである。結局”黙殺する“ということに決定した。この言葉の裏には極めて重大な、しかも微妙なニュアンスが持たされていた」と分析されています。
このような微妙なニュアンスを英語に訳すのはかなりの高等技術です。ましてや戦時中の混乱の中で、正しく意図が伝わるかは未知数です。それであれば、リーダーである首相は、かくも微妙な言葉を使う必要はあったでしょうか。
相手に伝わるかどうかわからない曖昧なニュアンスを用いてコミュニケーションすることは、国際舞台では危険を伴うことがあるでしょう。
第三の教訓は、文化や行動様式の違いです。
本書には、国語学者の大野晋氏のコメントが紹介されていますが、そこには「黙殺という言葉は“知っているけど知らないふりをして取り上げない”という意味であり、日本人独特の対人関係を表現する言葉」とあります。
また、「言い争うこと自体が自分の位置を低めるという社会認識があり、相手にしないことが自分自身の高さを保つ」という考え方が裏側にあるとも考察しています。
こうした日本人的なメンタリティは日本人には理解できるものですが、外国人に理解することは難しいでしょう。自分たちがプライドを保つために「黙殺」という言葉を使ったとして、相手はそんな文化背景を共有していませんから、全く異なる受け取られ方を仕方ありません。
逆に、連合国側に「日本人はこういうメンタリティがあるから」という理解を出来る人がいたら、受け止め方も若干変わっていた可能性も否定できません。相手の文化的な背景を理解することの重要性を改めて考えさせられます。
以上、「黙殺」についてのエピソードや教訓を紹介してきましたが、このようにたった一つの言葉の取り扱いからも、様々なことを学ぶことが出来ます。
昨今、自動翻訳の発達などで言語をまたいだコミュニケーションは急速に容易になっています。しかしながら、現時点では自動翻訳がこうした言葉の「裏側」にあるものまで翻訳してくれるわけではありません。
逆に、自動翻訳を使いこなす側の我々の文化的、言語的リテラシーが不足した場合、このように意図しない形で翻訳されることを制御できない、ということも起こりえるでしょう。
外国語を扱いながら仕事をする我々が、改めて肝に銘じておきたいことだと思いました。
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